photo-1514923995763-768e52f5af87_1080.jpg 活動へのご支援をお願いします。 photo-1495653797063-114787b77b23_1080.jpg ひとりで悩まず、お声かけください。 機関紙「J-BREATH 」 「J-BREATH 」第122号 2022/10/27発行 img20220809111242763953.png 2022 COPD啓発ラング・ウォークは10月29日開催

HOME | バックナンバー | 患者さんインタビュー | 患者さんインタビュー記事03

患者さんインタビュー

 J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。

患者さんインタビュー

 J-BREATHでは慢性呼吸器疾患患者さんの在宅での療養生活をご紹介しています。疾患も環境もそして家族構成も違う中で、在宅酸素療法などを行いながら、どのように病気と向き合って日常生活を送られているか、様々な工夫を凝らして、明るく前向きに暮らしている患者さん達のインタビュー記事をご紹介します。是非、一人でも多くの方に読んでいただき、思いを共有していただけますと幸いです。


J-BREATH第96号 2018年6月号掲載

原因のはっきりしない間質性肺炎を患って
夫婦で取り組む療養生活

 

山木 勝さん(東京・文京区)

 

 山木さんは昨年10月15日(日)に開催した第22回J-BREATH講演会「患者さん・ご家族が参加して行なう呼吸リハビリテーション」に、ご夫婦で参加されました。インタビューをお願いしたところ、快く引き受けていただき、3月16日(金)にJ-BREATH事務所近くにある自宅を訪ねました。奥様と二人で迎えていただき、間質性肺炎と診断されるに至った経緯、その後の療養生活などについて話をお聞きしました。

 

現役時代の仕事と生活

 1968(昭和43)年に東京地方裁判所に入所、途中2年ほど水戸地裁に勤務したほかは、一貫して東京地裁に勤務、郷里の日光市で一人暮らしだった母親の遠距離介護のため56歳で早期退職しました。裁判所での実務経験が役立ち、その後も民間企業で職を得て、結局60歳になるまで仕事を続けました。
 水戸地裁での勤務で特に忘れられない事件に、当時日本各地で行なわれていたじん肺訴訟の仕事があります。じん肺は、鉱山などでの作業中に有害な粉じんを吸いこんだことに起因する典型的な呼吸器疾患ですが、この裁判に関わる仕事の一つに、ホルマリン漬けにされた死亡患者の肺組織内の状況の検証作業がありました。肺の中は、石炭の粉じんで真っ黒に汚れており、これでは生きていけるはずはないと思いました。当時、石炭の掘削は国策とも言える状況で盛んに進められていたわけで、このような悲劇が生じたのは、必然性があったのかなと思います。せめてもの救いは、これらじん肺訴訟のすべてが被害者実質勝訴の和解で終わっていることです。
 東京地裁では、いわゆるバブル崩壊による金融破綻事件が急増、仕事は多忙を極め、毎日終電で帰宅するような生活が長年続きました。妻も同じ東京地裁の勤務で、いわゆる職場結婚で、ずっと共働きの生活でした。それぞれ50代に入った頃から、双方に要介護の親の面倒を見る必要が出てきて、60歳を過ぎる頃からは、月の半分ほどは私が栃木で暮らすという不規則な生活が続きました。
 喫煙は、学生時代には1日1箱くらい、就職してからは次第に本数も増え、40~50代では1日3箱は吸うヘビースモーカーでした。しかし、思い立って還暦を機にぴたりと喫煙をやめました。長年、過労と喫煙生活を続けてきましたが、特段健康を害することもなく、大病を経験したということもありませんでした。
 

息切れから間質性肺炎と診断されるまで

 ところが、3年前(2015年)の4月、70歳になったときのことです。前年の夏、遠距離介護していた母が亡くなり、その後も月に1度は日光市の鬼怒川温泉近くにある空き家に通っていました。庭の立木の木こび挽き作業をしていたとき、突然息切れ症状が出るなど、今までにない体の異変に気付きました。横隔膜が痙攣するような感覚も経験しました。ただ、少し休めば息切れは治まるので、そのまま東京に戻りました。
 その1ヵ月後、地下鉄の駅の階段を上がるときにかなりの息切れを感じましたが、このときも、少し立ち止まって休めば普通の状態に戻り、平地では普通に歩行もできました。なぜこうした息切れがあるのか、気にはしていましたが、すぐに病院には行きませんでした。このころから、多少食欲が落ち、体重も若干減ってきたと思います。その後、友人の墓参りで坂や階段を上ったときにもかなり強い息切れがありましたが、休めば治るので、結局は年のせいにしていたように思います。
 その後も労作時に息切れを繰り返したので、近くのかかりつけ医を受診し胸のレントゲン写真を撮ってもらったところ、両肺とも全体的に真っ白になっていました。医師からは紹介状を書くのですぐに専門医の検査を受けるように言われ、翌日、家の近くにある日本医大の呼吸器外来を受診、担当医から〝即入院〟を告げられました。
 入院直後に、関節リウマチ系の間質性肺炎の可能性があるとの診断を受けました。そして呼吸器内科医と膠原病関係医の合同チームにより種々の検査を受けることになりました。いろいろ検査はするものの原因の特定には至らず、薬も有効なものが見いだせないまま、結局42日間の入院をもって退院しました。間質性肺炎の重症度の指標となるKL-6値は、入院時に2400もありましたが、入院中も上昇し、退院時には3200を超える最悪の状態で、大きな不安を抱えての退院となりました。
 

 

妻に支えられてずいぶんと元気に

 退院時に在宅酸素療法の導入となり、自宅には流量7L/分までの酸素濃縮装置を設置。労作時7L/分、安静時3.5L/分、就寝時1.5L/分の処方を受け、外出時には携帯用酸素ボンベを使っての療養生活が始まりました。退院時の痩せて元気のない私の姿を目の当たりにした妻は、自分が支えるしかないと決めたようで、日常生活面でいろいろと工夫をこらして、私を支えてくれました。
 まず第一の工夫がリビングルームの療養室仕様への変更です。南の窓側近くにベッドを置き、食事は隣のダイニングで、洗面所もトイレも手近にあり、リビングルームとその周辺で基本的な生活が完結できるようにしました。
 ベッドのそばにはパルスオキシメーターや体温計、血圧計、簡易心電計などのほか、空気清浄機や加湿・除湿機器などを設置。室温も年間を通じてほぼ適度な温度に調節されています。浴室は少し離れていますが、冬場でも室温が20℃を下回らないように気をつけてくれています。
 その次が食事面での工夫です。高たんぱく、高カロリーの摂取に心がけ、病気に良いとされる食材も積極的に活用するなど、食事面でも、いろいろ気を配ってくれています。また、週に一度は気分転換も兼ねて、散歩がてら二人で外食を楽しんでいます。
 こうした妻の献身的な支えと自らの頑張りもあり、病気と前向きに対峙してきた結果、退院して1年後あたりからKL‐6値も徐々に下がり、最近では1100まで改善しました。風邪ひとつひかず、ずいぶんと元気になり、今のところ落ち着いた生活を楽しんでいます。本当に、妻には心から感謝しています。
 

 

呼吸リハビリ教室の成果

 昨年10月に参加したJ-BREATH主催の呼吸リハ教室で学習したことは、日常生活の中で意識的に実践しています。腹式呼吸、口すぼめ呼吸、日常生活動作を行なう上での呼吸法、筋トレなどです。
 その成果としては、睡眠が改善し、生活動作での呼吸の負担が減り、歩行速度も少し速くなったような気がします。ほぼ毎日入浴してくつろぎ、月1回郷里に帰省する際は、近くの温泉に行くことにしています。入浴中に口すぼめ呼吸をゆっくり行なうことで、呼吸も楽になり、のんびり、ゆったりと入浴を楽しんでいます。このように呼吸リハは、日常生活のいろいろな場面で役立っています。