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J-BREATH 連載講座

講師:木田 厚瑞先生 

 呼吸ケアクリニック東京 臨床呼吸器疾患研究所 医療法人至心医療会 理事長


J-BREATH第82号 2016年2月号掲載

第14回 在宅酸素療法の目的を理解しましょう

 
 在宅酸素療法を受けている患者さんは、全国で約17万人と言われています。前号では酸素がなぜ必要とされるのか、高地では酸素が次第にうすくなるが、ぎりぎりの地域でも普通に暮らしている人がかなりの数になっていることをお話ししました。酸素不足の状態でも普通の生活ができるように体が順応していると思われます。どのようにしたら順応できるのか、病気になって酸素不足の人でもうまく順応できるようになるのではないか、という期待からも高地居住者の研究は興味がもたれています。健康な高地居住者はなぜ酸素不足の中でも元気に暮らせるのか、体の中に特別の「酵素」でも増えているのであれば薬としてそれを体の中で人工的に増やせば良い。新しい治療に結びつく可能性があります。
 先に在宅酸素療法がコロラド大学のペティ教授によって始められたことをお話ししました。在宅酸素療法はいわば米国で生まれ日本で育った先駆的な治療法ですが、ペティ先生は在宅酸素療法のコンセプトを作り上げた科学者であり臨床医でした。先生が提唱したのは「長期」の酸素療法ですがこれに「在宅」と冠がつけられて、在宅医療の中で先駆的な治療と分類されたことからわが国では他国に見られない独自の発展をとげます。しかし、他方で酸素療法の意味について誤解を生みだす原因にもなりました。私は、在宅酸素療法が今の状態に至ったのは多くの患者さんたちが自分たちの必要に合わせて引っ張っていったという気がします。いったん走り出した制度は厚労省が範囲を決め、止めようとしても実際に必要としているという患者さんたちの声の方が大きく、しかも強く働きます。患者さんたちの強い求めに医師たちがついていったというべきでしょう。
 多くの国内の研究者の協力、必要な機器を開発していった機械メーカーの努力、これを新しい治療法として医療保険の対象とし広めようとした国の方針、新しい治療を受け入れていこうとする患者さんたちの協力があって初めてここに至ることができました。
 

わが国の在宅酸素の歴史

 
 表1は、わが国の在宅酸素療法の歩みを示したものです。医療保険が適用になったのが1985年ですが、動脈の中を流れる血液の酸素が不足した状態―呼吸不全が医学的に定義されたのが1969年です。それから9年後に旧厚生省特定疾患呼吸不全調査研究班が発足します。これは全国の著名な呼吸器専門医、麻酔専門医などから成る研究グループであり、国が多額の研究費を出し研究を推進させました。
 

 
 この研究班の成果が今日の在宅酸素療法を軌道に乗せました。同時に見逃がしてはならないのは機器の開発を行った会社、「テイジン在宅医療(株)」の先駆的な役割でしょう。1982年、現在ではもう使われていませんが膜型酸素濃縮器を完成させました。私が試作、第1号機のテストを頼まれたのは1982年の初夏のころだったと思います。同じような酸素濃縮器は、78年から3年間、留学していたカナダの医学部付属病院の呼吸器内科病棟で使われていましたから期待感がありました。試作器の酸素濃度は40%余りが最高で(現在、使われている機器は95%以上です)、モータの騒音がひどく、チューブは水滴が溢れることがしばしば起こり、加えて最大の問題は数日間、連続して使うと次第に酸素濃度が低下していき、30%を切るようになってしまうことでした。これらの結果には失望しましたがそれからほぼ1年後に見せられた改良機はこれらの問題の全てを解決したすばらしいものでした。改良機を使い保険診療の採択に備えた臨床治験が始まりました。
 

ペティ先生の功績

 
 在宅酸素療法は、病院で吸っている酸素療法を単純に自宅で吸うものに変えたということではありません。在宅酸素療法は入院期間が長くなるのでこれを解決するために自宅で酸素を吸うようになったという考えは明らかに間違いです。1970年代、多くの結核後遺症の患者さんがいました。その人たちは次第に高齢化し、息切れは強く、酸素不足の状態の人たちが大勢いました。多くの人たちは年余にわたる長い入院生活となっていました。その入院生活が決して安楽なものではないことはその頃、結核療養所で生活する人たちに自殺者が多かったということからも分かります。闘病というより絶望の中でやむを得ない選択だったのです。
 米国では早くに結核撲滅に成功しこの時代にはむしろ重症のCOPDが深刻な状態になっていました。日本の今の状態に相当します。高地に住む重症COPDの患者さんは酸素不足で日常生活は極度に制限されていました。在宅酸素療法の目的や効果を考えるとき、まず基本的な考え方を明確にし、治療効果をできるだけ上げるには提唱者のペティ先生の考え方に戻ってみることが必要です。ペティ先生が逝去されたのは2009年12月12日ですからもう6年以上も経ちました。ペティ先生は米国における呼吸ケア学の礎を築くことに貢献されました。ここでいう呼吸ケアとは何か。弟子の一人、ピアーソン教授は「呼吸ケア」という英文雑誌にペティ先生は次のように考えていたと紹介しています。
 
「さまざまな病気によって人間がもつ正常な呼吸生理学の仕組みが障害され、治療が必要となった状態を指す。その中には患者の診断、痰や咳など気道の症状を治療し、酸素が欠乏している状態を治療し、必要ならば人工呼吸器を使うようにする。並行して吸入療法、呼吸リハビリテーション、その他の治療を行うことである」。
 
 わが国ではケアは介護と邦訳されていることもあり、「ケア」と表現すると科学的ではないという響きがありますが、呼吸ケアとは急性期や慢性期の呼吸器病の全般に関わるサイエンスそのものを意味する言葉です。
 


 ペティ先生の功績をまとめたものが図1です。逝去を悼んだニューヨーク・タイムズの記事では「20世紀最大の功績を遺した呼吸器の臨床医」とその業績を讃えています。まだ若いころのペティ先生を一躍、有名にしたのがARDS(成人型呼吸窮迫症候群)という新しい病気の提唱でした。ベトナム戦争では多くの若い米国人兵士が犠牲となりましたが腹部や四肢など体に大きな傷を受けた人が収容されるとその後、短期間で酸素が高度に足りなくなる重症の呼吸不全となり、その結果、腎臓や肝臓の機能が低下していく多臓器障害となり死亡することが分かりました。レントゲン写真で見ると肺には細菌による重症の肺炎に似た広い範囲で重い肺の障害が起こっており、解剖の結果では肺炎とは異なることが判明しました。細菌で起こる肺炎は抗生物質が効果的ですが細菌感染で起こるのではないARDSでは効果がありません。ARDSは発表から50年以上たったいまでも高い死亡率の難治性の病気として恐れられています。その後の研究で新型インフルエンザの肺炎や中東でラクダから感染するMERS(マーズ)も同じようなグループに入ることが分かりました。いずれも重症で治療が難しい病気として知られています。重症の酸素不足になったARDSの患者さんでは気管に細いチューブを挿入し人工呼吸器をつなぎ、一定の圧と容積の空気を呼気―吸気として間断なく送りこむ治療が必要ですがその際、吐き切った後、つまり呼気の終わりに少し圧を残す方法ーPEEP(ピープ)という人工呼吸器の設定を行うと、救命率が高まることを発明しました。現在では、全ての人工呼吸器でPEEPが行われるようになっています。ARDSの提唱とPEEPの発見はペティ先生を一躍、有名にしました。その後に続いた研究が在宅酸素療法です。
 前述のようにペティ先生が生まれ、働いていたコロラド州デンバーはマイルズ・ハイと呼ばれ高地にあります。空気がきれいだという理由で古くは結核療養所がありました。肺結核の後遺症の患者さんにとって酸素不足の高地で生活することは少し歩くだけで息が苦しくなり大変でした。重症のCOPDの患者さんでも同じことです。このような患者さんでは自宅に大きな酸素ボンベを置いて酸素を吸い続ける治療は行われていました。しかし、酸素は吸い続けなければなりませんから外出できません。これが問題でした。自宅で長く寝たり起きたりの生活では病院に長い間、入院している生活とほとんど変わりません。リハビリテーションが必要ですが息切れが強く動けません。これを解決したのがペティ先生と同じ病棟の婦長であったルイーズ・ネットさんでした。たまたま病棟で必要な機材を取りに病院地下の倉庫に入ったときNASA(アメリカ航空宇宙局)から自由に使って良いと廃棄処分されていたジュラルミン製の小さなタンクを見つけたのです。中には液体酸素が少し残っていましたから彼らが興味半分で栓を緩めたとたんシューと大きな音がして酸素が吹き出し、とても驚いたと書いています。しかし、これを見た途端に思いついたことはこのタンクを、酸素療法を行っている患者さんに使ってもらうことでした。これを使えばどこへでも思うときに、思う場所に出かけることができる。二人は早速、この考えを医療機器メーカーに話し、試作品を作ってもらいました。液体酸素を扱う業者にも協力してもらい患者さんの自宅にある大きなタンクに充てんしてもらう話もまとまりました。こうして新しい治療として在宅酸素療法は出発したのです。ペティ先生が次々とアイデアを出すのに町工場に近い業者たちは答えてくれたのですがこの当時、デンバーにはこうした小さな医療機器メーカーが300軒以上あったということです。
 大切なことは、ペティ先生が考えたことは自宅で酸素を吸い安静にしているような治療を提案したのではないということです。酸素を持って明るい外に出てもらい、元気な人が行っていると全く同じ生活をおくってもらうこと。そのために酸素が必要だったのです。酸素を持って軽い運動もできるようになったし、旅行もできるようになった。酸素吸入を行ってリハビリを行うのではなく、酸素吸入そのものがリハビリなのです。この点が理解されていないと、酸素療法は開始してもほとんど効果を上げることができません。
 1960年代の半ば、デンバーで在宅酸素療法を開始しましたがこれを初めて専門医師たちがあつまるアスペン肺会議で発表したときは大変な騒ぎになりました。いい考えだと賛同してくれる医師もありましたが大半は、高濃度の酸素を吸うことは危険だという意見でした。ある女性研究医は、ペティ先生に、あなたは間違いなく稀代の人殺しと言われるようになるだろう、とさえ非難しました。一様に心配したのは酸素吸入により副作用として高二酸化炭素血症が起こり、それが原因で意識障害が起こり、死亡患者がたくさん出るだろう、ということでした。血液ガス検査が今日のように簡単にできないという点も大きな問題点でした。確かに副作用としての高二酸化炭素血症は今日でも大きな問題ですが、病気のことが深く分かるにつれどのようなときに心配すべき状況か、がはっきりしてきました。次に問題とされたことは酸素による事故でした。火災事故がみられたからです。多くは患者さんが酸素吸入を行いながらタバコを吸って、火傷、火災を起こすものでした。中には携帯ボンベを持ち庭で草刈り機を操作しているときに金属にあたりスパークから火傷という思いもしない事故が起こったこともありました。しかし、大多数の患者は新しい治療の開始でこれまでの不自由な生活が大きく改善されることになりました。
 「長期酸素療法」と呼ばれることになった新しい治療が始まりしたがいろいろな難問がありました。1994年になってペティ先生はそれを表2にようにまとめています。これらの問題点は同じ治療が開始されたわが国でも起こりました。例えば、専門医ではない開業医では在宅酸素療法の目的を正確に患者さんに伝えていない可能性があります。米国では酸素療法開始の指示=処方箋をどのような形で誰が発行するかが問題でしたが、わが国では医師が指示をだすように一本化されています。ここにペティ先生が挙げた問題点で、いま、わが国でも問題となっていることは、「呼吸リハビリテーションの開始」をどうするのか、と「夜間の低酸素、昼間の運動量低下」です。
 米国とは異なりわが国では液体酸素を用いた方法はあまり広がらず、自宅に濃縮器を設置し、携帯ボンベを持つというスタイルが定着しました。液体酸素は、自宅に置いた親容器に定期的に充てんしなければなりません。それを子容器に自分で移すのですが比較的若い患者さんが多い米国とは異なりわが国の患者さんは高齢者が多いことが問題でした。充てんは煩雑であり、液体酸素による火傷事故などがあり、かえって不便です。

 

米国の長期酸素療法に対するアドバイス

 
 米国胸部学会(ATS)は会員である呼吸器の専門医が患者さんに適切な情報を伝えるために簡単な冊子を作製しています。最初に「酸素療法」の冊子の内容のうち要点を私なりの解釈を加えて紹介します。

 呼吸器の病気を持つ患者さんでは身体の酸素が足りなくなる結果、健康な人のレベルまで補うために「余分」の酸素吸入を行います。COPDや間質性肺炎や小児で重い呼吸器の人は酸素吸入を行わなければなりません。余分の酸素を吸うことにより酸素不足の状態から身体は改善し、健康なときのように各臓器が活動することを助け、より活動的な生活をおくることができます。
 

なぜ患者さんで酸素吸入が必要になるのでしょうか?

 酸素は全ての人間が生きていくためには必須のものです。空気は約%の酸素を含んでいます。この量は、肺が健康な人や、呼吸器の病気がある人でも十分な量です。しかし、呼吸器の病気の人の中には、普通に呼吸をしていると酸素を十分に取り入れることができない人がいます。そこで身体の機能を正常に保つためには余分に酸素を吸わなくてはならないのです。
自分に酸素療法が必要かどうかはどのように判断されますか?
 酸素療法が必要かどうかは動脈の血液を測定することにより決めます。これは動脈血ガスの測定とも呼ばれており、通常は手首などの動脈を刺して採血します。そのほかにパルスオキシメーターと呼ぶ簡単な機器で測定することもできます。これを使う利点は睡眠中や運動中に酸素が足りているかどうかを便利に測定できることです。身体の臓器の活動が行われるために必要な酸素のレベルはパルスオキシメーターで測定したときに88%以上に保つことです。
 

どのくらいの量の酸素を吸入すれば良いのでしょうか?

 酸素は薬として医師の処方箋のもとで吸入が行われます。酸素吸入の治療方針が決まると担当医は流量、一日のうちいつ頃(何時間)、どのような機器を使うかを決めます。一日中、使うのか、歩くときなど運動時だけ使うのか、夜、眠っているときだけ使うのかを決めます。酸素ボンベを使って外に出るのは恥ずかしい、という理由で必要であるのに使わないのは身体に酸素不足による過剰な負担を強いることになります。酸素吸入は処方箋に指示された通り正しく使うことが一番、大切なことです。必要な量と時間を指示された通り使わなければ脳と心臓が酸素不足で傷害を受ける可能性があります。特に脳の酸素不足は決まった症状が出るわけではなく、疲れやすい、記憶力が低下したというような訴えになります。また不要なのに多量の酸素吸入を行うことは、肺にはかえって害になることがあります。街中で行われている酸素バーはまさにこれに相当する可能性があります。
 

眠っているときにも酸素吸入が必要ですか?

 健康な人でも眠っているときには呼吸は緩やかになります。そのため昼間にじっとしているときに酸素不足の人は、眠っているときにはさらに酸素不足が強くなります。脳は眠っているときでも多量の酸素が必要ですから眠っているときの強い酸素不足は脳を傷つける可能性があります。患者さんの中には昼間には酸素吸入が必要はないのに眠っているときだけ必要となることがあります。これは担当医が夜間の酸素の低下が起こっていないかを確認して必要量の酸素を処方します。
 

運動するときに酸素吸入が必要となるのはなぜですか?

 歩行など日常の生活では軽い運動でもエネルギーを消費します。だからこそよけいに酸素が必要となるのです。日常の生活で欠かせないのは歩くことですが平地を歩いてどのくらい酸素が足りないのかをはっきりさせるために必要なのが6分間平地歩行テストです。簡単にでき、安全にできる検査であることから広く行われています。
 

酸素吸入はいつもしなければならないのですか?

 重い慢性の呼吸器の病気をもつ患者さんで酸素療法が必要となります。中には一度、酸素療法を始めると癖になり、しかもだんだんその量が増えていくのではないかと心配する人がいます。患者さんの中には急に病気が悪くなり入院治療となった場合には一時的にいつもよりも多い量の酸素吸入が必要となります。しかし、急な悪化が治りもとの状態に戻ると酸素の量も元の量に減らしていくことができます。自分の判断で酸素吸入を中止してはなりません。危険です。
 

酸素療法を行っているときに自分で気を付けなければならないことは何ですか?

 吸入する酸素は多すぎも少なすぎも危険です。だるさを感ずる、朝、起床時に頭痛がある、息が苦しい、というような症状があるときには必ず担当医に相談しましょう。
 

酸素吸入を行っているときに注意しなければならないことは何ですか?

  • ・酸素はそれだけで燃え上がったり、爆発することはありません。しかし、炎に酸素を近づけると急に燃え上がり、炎が急に大きくなります。これはとても危険です。
    ・酸素吸入を行っているときには決してタバコを吸ってはいけません。タバコが急に燃え上がり顔に大やけどをします。
    ・酸素は裸火から少なくとも2メートルは必ず離しましょう。
    ・液体酸素の容器を使っている場合にはひっくりかえらないように十分、注意しましょう。
    ・酸素は安全なものであり、指示された通り使っていれば極めて効果的な治療です。

 


 

コラム

 ペティ先生は日本に数回、来られました。その時の思い出を私は以前、出版した本の中に書いたことがあります(『「老い」に克つ』東京新聞出版局刊、2003年)。私にとっては生涯の思い出になるような出来事でしたからその部分を抜粋します。ペティ先生は私に臨床医としての道筋を教えてくれた恩師の一人です。アスペン肺会議でペティ先生と一緒に撮った写真はいまでは貴重な思い出となりました(写真)。
 

 

専門医とはなにか

 トーマス・ペティ教授は呼吸器の専門医を目指す医師なら知らない人はいない有名な呼吸器疾患の研究者であり、臨床医です。彼が長い間、責任者をつとめたコロラド大学の研究室では、指導をあおごうとする若い医師たちの全米からの応募は、毎年、三百人に達したといわれています。厳しい試験の結果、その中の六人だけが選抜されます。このようにして選抜された人が優秀なスタッフから厳しい指導を受け、また全員が優秀な次の指導者となっていき、さらにペティ教授の名声が高まっていきました。ペティ教授が東京で講演会を開くことを聞きました。忙しい予定の間に土曜日の一日、予定が入っていない日があることを知った私は、若い医師たちと懇談の場をもってもらえないだろうかと、無理に頼んでみました。思いがけなくも喜んで、という返事です。ペティ教授は、最近、体調があまりよくなくこれが最後の訪日になるかもしれない。当日は私たちの病院に来ていただくことにしました。先生の前で呼吸器科に勤務する若い医師たちが十五分ずつ英語で自分たちの研究を発表しました。発表はつたない英語でしたが、先生は一つひとつに丁寧に答えて励ましてくれました。私たちの病棟を案内した後、一緒にみんなで食事をしました。ペティ先生は酔って饒舌で上機嫌でした。たまたま、話が医師の心構えになりました。
「私は呼吸器の専門医を目指す若い医師にいつも言っていることだが」次の言葉にみんな、かたずをのみました。ペティ先生がふだん多くの弟子たちに言っている秘訣が聞けるかもしれないと思ったからです。「呼吸器の専門医たらんとするものは呼吸器は自分の趣味くらいの気持ちでやるのがいい、医学全般に深い造詣を持たなければ優秀な専門医になることはできない」、と。簡単に専門医になれるような近道などありはしない、狭い範囲の医学、医療しか知らない専門バカになるな、というのがペティ先生の答えでした。
 一流のプロ野球選手で自分の守備が狭い範囲だけにとどまり、他の人たちが守っている領分に興味を示さない、ということはありえないことでしょう。医療も医師、看護師、薬剤師、検査技師など、多くの職種の人とのチームプレーです。しかし、その守備が狭い範囲だけにとどまるとしたら、チーム全体の力はとても発揮できないことになります。ペティ先生の言葉は、私にも、また一緒に働いている若い医師たちにも強烈な印象として残りました。(『「老い」に克つ』東京新聞出版局刊、2003年より)